人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

夫婦間の適度な距離の保ち方 その3

その2からつづきます。


その1及びその2をご覧いただいた方は、売却前も、売却後も夫婦睦まじく経過しているように見えますが、売却後大きな試練に襲われました。


6ケ月の別居生活に見舞われたのです。壮大な夫婦喧嘩でした。火種は、子育てや親族との付き合い方についての考え方の相違でした。売却後、私はネクストビジネスを第2創業し、自宅から車で10分の場所にオフィスを構えていました。夫婦喧嘩と共に自宅を飛び出しオフィスに寝泊まりするようになったのです。その喧嘩は長々と続き別居が6ケ月も続きました。離婚危機にまで発展しようとしていたことも事実です。


離婚危機にまで発展しようとしていた当時を振り返ると、昼はオフィスで仕事を行い、夜はオフィスで寝泊まり、風呂は近くのスーパー銭湯に行ったり、早朝4時ころ、妻が起きる前に自宅に戻り自宅でシャワーを浴びたりという連日でした。


食事は、スーパーやコンビニで調達、或いは外食という生活でした。当時、長男と長女は家を離れていましたが、次男はまだ中学生で同居していました。言葉や態度で反抗を見せることはありませんでしたが、ただでさえ難しい年ごろでしたから、私を批判し続けていたはずです。私も離婚を覚悟していた時期でもありました。


私の離婚を阻止することになったのは、夫婦喧嘩の途中で、妻との話合いの機会を持った際告げられた次の言葉でした。


「今、早まって離婚を決断したならば、きっと将来後悔する! 子供たちに合わせる顔が無くなるよ!」・・・という毅然とした言葉で私を諭したのです。


別居前から妻とは、私生活、会社の状況、将来の行く先について隠し事なく、しっかりと話し合っていました。そのため、私が会社を売った理由、一人でM&Aという戦場に立ち向かって行った売却時のつらい日々、売却が成功した際の喜びなどなど、妻は全てを把握し、私の考え方や行動を理解しサポートしていてくれていました。


そしてさらに別居時に至っては、私を信頼し、別居の6ケ月を耐え、元のサヤに納まるのを辛抱強く待っていてくれたのです。売却前の「取締役妻」の役職は売却後も継続していたのです。現在では、親子それぞれ別居していますが、それぞれの道を楽しく歩んでいます。妻の前述の言葉がなければ私は孤立し、孤独な人生を歩んでいたかもしれません。


この別居以来、喧嘩は時折再発していますが、お互いがお互いを尊重し思いやることで、大きなトラブルに発展していくことはありません。夫婦生活を続けていく以上、一年365日、四六時中、夫婦仲睦まじく暮らしていくことを理想としながらも、事実上不可能なことであると私は思っています。


しかしながら、小さな喧嘩はあっても、大きなトラブルに発展することがないように、お互いがその踏まえを持ちたいものです。そのためにも「夫婦間の適度な距離」で「親しき中にも礼儀あり」を心掛け、お互いを尊重しあい、共にいたわりあっていくことが重要です。