人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

優良企業経営ながらも延命の道を選ばす その3

その2からの続きです。


一億円の内部留保があれば、さらなる事業への投資ばかりではなく、社内環境の整備にも夢が膨らむものです。私の会社が営んでいたリネンサプライ業という業種は、繊維製品のリースとクリーニングの合体した業種であるため、クリーニング工場は蒸気を発生し、真夏には朝から温度計が三十度を指していました。蒸気を伴う仕事上通常のクーラー設備では効果がなく、工場で働く社員は、暑い中で働くことを余儀なくさせられます。


とはいえ、時代とともにこのような工場にも最新のクーラー設備や、社員のための快適職場づくりが求められるようになってきました。社員と経営者との意思疎通の改善、トップダウンではなく、ボトムアップ経営等、社員待遇改善のためのさまざまな施策が求められるようになったのです。


しかしながら、大企業では当然となっている職場環境や福利厚生も、中小企業にとっては真似のできない施策が多くあります。多くの中小企業は、職場環境整備と福利厚生の施策を、後回しにせざるをえないのが現状です。一方、厳しい雇用環境の真っただ中にあった当時、働く人たちにとっては福利厚生の充実や、職場環境の優劣などを問うている状況ではありませんでした。職がある事だけでもありがたいと言われた時代でした。職場環境や福利厚生への多少の不満があっても、会社に対して不満を言いだせないのが現実だったのです。現在のように、ブラック企業などと言う言葉で企業の不正を追及できることなどできなかったのです。


私の経営していた会社においても、職場の改善や福利厚生の充実等、改善、投資すべき課題が山積みになっていました。快適な職場づくりや福利厚生を犠牲にしての利益計上、さらには、内部留保の充実という状況に、経営者の仕事のひとつは儲けるための仕組みづくりとはわかっていても、私自身は何かしっくりこない感じをもち始めていました。経営の本質ということを考えた場合、ほんとうにこれでいいのだろうか。私自身のなかでも、経営に対する葛藤がはじまったのです。


しかし、積極的に福利厚生の充実や、職場環境の整備を行なえば、内部留保していた資金はすぐに底をつきます。さらに、減収減益という状況を迎えれば、企業存続前途は多難をきわめるようになります。倒産という事態さえ、現実のものになってしまうのです。しかも、同族中小企業の大半は労働組合がなく、物事の決済は経営者の鶴の一声に左右されてしまうケースも見受けられました。


労働組合がなく、社員が不満を口にしないことをいいことに、職場の改善や福利厚生充実など、売上に直結しないことに目を向けないような経営体質では、利益計上はできても会社存続の意義そのものがないものと常々思っていました。


そして、社内の環境整備と福利厚生の充実という観点から、私の経営していた会社の存在意義を考えたとき、私は自力では社員に報いることができないという結論に至ったのです。私の会社がこの先も、社員に生きがいの場を提供できるのだろうかという疑問でいっぱいでした、


だれでも一日に与えられる時間は二十四時間です。そのおよそ三割の時間を過ごす会社で、快適に働き、生きがいを持てる場を提供するのが経営者の務めでもあるはずです。福利厚生の充実及び社内環境や就業規則の整備に十分な投資を行うと同時に、利益計上や内部留保のできる会社でなければ存続する意味がないものと、当時の私は判断したのです。


あのまま、私が経営を継続し生き延びたとしても、世間から「ブラック企業」のレッテルを貼られ、窮地に追い込まれ、その後売却できたとしても、企業評価は価値の落ちた会社として査定されていたでしょう。