人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

経営権で支配する創業者の権力 その2


その1からの続きです。


創業者の権力に関しては、自動車保険の保険金不正請求問題で巷を賑わしている中古車販売のビックモーターがあります。現在(本ブログ投稿日)、会社売却の報道が見受けられます。身売りを成立させるには、創業家保有株の取り扱いが最重要課題のようです。


ビックモーターの株式は創業者と長男の後継者で保有しおり、その動向が話題を呼んでいます。ビックモーターの不祥事が発覚してから、経営の一角を担ってきた息子である副社長は一切公に出てくることはありません。創業者を隠れ蓑にしながら自分の力を過信していたものの、自分の非力を悟り、自分ではこの事態を収束できないのかもしれません。
※後継者教育については「ライオンの子育てに学ぶ事業承継」を参照ください。
https://melsa.muragon.com/entry/128.html


しかしながら、現場を仕切っていたのは息子の副社長とのこと、自社の将来と社員の生計を維持させようとするならば、70才を過ぎた大株主の創業者を口説き、身売りを成功させるための株式の譲渡を決断すべきではないでしょうか。しかしながら、経営権を持ち実質経営を支配している創業者に対し、自社売却を提案するには、清水の舞台から飛び降りるような、それ相当の覚悟が必要です。


私の父が創業した会社を売却すべきと私が提案した当時を振り返ると、今でも背筋が凍るほどの苦い思い出があります。足が震えていました。売却を考える以前にも、父と私には様々な対峙がありましたが、私のふがいなさだけが思い浮かばれます。その対峙の内容を、ジャニーズ事務所の創業者ジャニー喜田川氏の権力に被らせながら述べてみたいと思います。


芸能事務所で巨額資産を築いた「ジャニーズ事務所」と私が売却した中小企業。企業規模や保有資産では比べ者になりませんが、創業者のワンマン性というという点に共通性があるようです。当時の私の後継者としての立場と、創業者である父に意見できなかった私の恥部とふがいなさを以下に暴露してみたいと思います。


次の内容は2023年9月7日性加害問題で記者会見した際の元代表取締役社長 藤島ジュリー景子さんの発言です。ジャニー喜田川さんは藤島ジュリー景子さんの叔父でジャニーズ事務所の創業者です。


【記者からの質問】


――ジャニー喜多川氏の性加害を事務所、またジュリー社長は知らなかったのか?


【藤島ジュリー景子さんの回答】


知らなかったでは決してすまされない話だと思っておりますが、知りませんでした。このことを説明する上では、当時のジャニーズ事務所がどのような意思決定で運営されていたかについて、ご説明する必要があると思います。


1999年の時点で、私は取締役という立場ではありましたが、長らくジャニーズ事務所は、タレントのプロデュースをジャニー喜多川、会社運営の全権をメリー喜多川が担い、この二人だけであらゆることを決定していました。(私の売却した会社の全権も私の父と母が担っていました)


情けないことに、この二人以外は私を含め、任された役割以外の会社管理・運営に対する発言はできない状況でした。また管轄外の現場で起きたことや、それに対してどのような指示が行われていたのか等も、そもそも全社で共有されることはなく、取締役会と呼べるようなものも開かれたことはありませんでした。本件を含め、会社運営に関わるような重要な情報は、二人以外には知ることの出来ない状態が恒常化していました。


振り返るまでもなく、その状態は普通ではなかったと思います。ただ、1962年の創業時からずっとこの体制で成長してきたこともあり、ジャニーとメリーの二人体制=ジャニーズ事務所であることを、所属する全員が当然のこととして受け入れてしまっていたように思います。私自身その異常性に違和感を持つことができなかったわけで、ただただ情けなく、深く後悔しております。(以上はマスコミ報道から一部転載しました)



私は創業者である父に対し、ある時点から腹をくくり「モノ申す勇気」を身につけました。
先代経営者から社長指名を待つのではなく、後継者から先代経営者に対し、社長を引退してもらいたい時期を提言し、その計画を一緒に立案したいと申し出る勇気です。「モノ申す勇気」のはじまりは父に提出した「進退伺い書」でした。「進退伺い書の」内容については次回投稿します。


その3に続きます。