人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

売却を決めた後継者のたわごと


後継者として経営を行っていた時、自分への戒めとして戒名を付けたことがあります。


「世襲無挑戦成上居士」と「活過差夢旅新業居士」の二つです。


前者は「せしゅう・むちょうせん・なりあがり・こじ」と読み、後者は「かつかさ・むりょ・しんぎょう・こじ」と読みます。この二つの戒名は、確固たる経営信念を自分に義務付けることを目的とし、私の戒めとして自分自身に付けた戒名であり、私が他界した際にに備えて事前取得した戒名ではありませんでした。


前者の。「世襲無挑戦成上居士」は創業者に代わり自ら経営者として従事することを決意した時に付けたものです。


最高意思決定権者たる経営者が二人存在する「双頭の鷲」的経営を自ら戒めていた私が、創業者に代わり決裁権を持つ経営者になるという決意は、双頭の鷲の戒めを今度は創業者に求めることになります。


あいまいな組織になりがちな同族企業では、創業者の権限が一般には想像より絶大であり、いわば憲法となっています。


二代目経営者である私にとっては、人事権と全ての決裁権を持ち経営に従事するには、中途半端な決断ではすぐに挫折してしまうので、「最高意思決定権者としての座をはく奪しても、自分の判断が正しいのだ!」という信念が必要だったのです。


私自身,双頭の鷲への戒めという経営論を旗印に、頭ごなしに創業者を飛び越えることなくパックアップしてきましたが、その限界と将来への不安を感じ、自分自身の手による経営革新を目指すようになったのです。


「世襲無挑戦」は、自己の能力に起因することなく世襲で家業に従事し、双頭の鷲の戒めとはいいながら、経営革新に挑戦していないという意味で、「成上居士」は成り上がりの後継者という意味です。


「世襲無挑戦成上居士」の戒名を得た過去の私はこの時点で没し、確固たる信念を持った新しい2代目経営者の自分が誕生するという決意だったのです。43才の時の自戒でした。


しかしながら、この決意を持ち経営革新に臨んだものの、経営権を持たない中での経営革新には予想もしない壁がたちはだかり、自らの手での経営革新よりも,M&Aによる経営革新を決断するに至ったのです。


戒名による自戒を軽々しく考えているのではありませんが、二度目の自戒が必要となってしまいました。


今では冷静になってM&Aの経緯を文章に書くことができますが、売却を決断した時は、説明できないほどの悩みがありました。そんな時期に、後者の戒名「活過差夢旅新業居士」を再び自ら付けたのです。


「活過差夢旅新業居士」は過去の過ちさえも活かし、夢を持って新しい事業へ旅立とうという意味です。


M&Aを成功させ、私自身も他の業界に身を投じる(第2創業)ということは、それこそ確たるけじめが必要です。後戻りできません。


さらに、M&Aを進めていくなかで、様々なストレスや葛藤に襲われることがあります。M&Aの決断は正しかったのだろうか、M&Aは成立するのであろうか、M&A成立後、第2創業はうまくいくのであろうか等々の不安です。しかし、M&A売却実務で頼れるのは自分ひとりしかいません。


このような状況の下で、「活過差夢旅新業居士」の戒名は、くじけることなくM&Aの初志貫徹を果たすための、私自身へのエールでもありました。


みなさんから見れば、「後継者のたわごと」かもしれませんが、創業者存命中決断した、後継者であった私のM&A売却決断には、清水の舞台から飛び降りるより数倍もの大きな覚悟が必要だったのです。