人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

創業者が与えてくれた四つの気づき


私が売却した会社を振り返り、様々な場で話をする機会を与えられると、いつのときも、私の父である創業者のワンマン度を話題にします。「金は出さない」「口は出す」「決裁権を与えず」「自ら責任は取らず」おまけに、銀行印と会社実印は自宅で父自らが保管していた、という話題です。当時の私は、ワンマンというよりも独裁と思っていたほどです。


しかし、父が他界し、私自身が事業承継という問題に本気で取り組んでから、私の考え方が間違いであったことに、やっと気付くことができたのです。


「金は出さない」
思うように資金を使えない不自由さがあったからこそ、金をかけずに物事を解決する方法や目標を達成させるための手段を、常に私の「頭」で考える習慣が身についたのです。金を出さないということは、交際費もチェックが厳しく、私の役員報酬も抑えられていました。つまり、後継者といいながらも、豪遊などもってのほか、グレードの高い生活は望んでもできない現実がありました。しかし、ドラ息子にならないようにするための、私へのスパルタ的教育であり、ハングリー精神を私に植え付ける為の父からのハードルであったことに気付きました。


「口は出す」
当時の私は、経営能力は父よりも私のほうが上と自惚れていたのかもしれません。私自身は一人前という自負心はあったものの、私の経営手腕に対して信頼を得ていなかったので父は「口」を出していたのです。父の口出しがなければ、私の経営は暴走していたかもしれません。私に対する監査業務であったことに気付きました。


「決裁権を与えず」
口を出す理由と同じです。後継者が社長のイスに座ると、思い通りにならなかった後継予定者時代のうっぷんをはらすように、接待交際費の乱用や、必要度の低い設備投資に走るケースがあります。私が経営していたような同族中小企業の規模では、後継者が社長のイスに座るとNo2 がいなくなり、後継者自身へのチェック機能がなくなってしまうのです。私も、当初から全ての決裁権を与えられていたならば、高級車の購入とゴルフ三昧、そして、身分不相応の社屋建設や、不要な設備投資に走っていたかもしれません。そのことを、父は見抜き、決済権を与える時期を計っていたのかもしれません。


「自ら責任は取らず」
会社を経営していくには、紆余曲折、大なり小なりの様々なトラブルや間違いがあります。その最終責任は経営者が取るべきであり、責任をとるという行動で、何事にも代えがたい現場を体験することになります。トラブルや間違いを解決するための現場を数多く経験し、自己啓発することが経営者には求められます。机上論では修得できない貴重な現場での対応を繰り返すことで、経営者は自己の経営手法を修得していく、ということに気付かされました。後継者の私が対処できる問題であると父が判断したからこそ、私に責任を取らせていたのでしょう。


これら、四つの気づきは、私が父から授かった究極の後継者教育プログラムであったかもしれません。


私が本気で自力で問題を解決するには、先ず父を説き伏せることが必要なケースが多々ありました。先代経営者と対峙するには「孤立」しても決断するという覚悟が必要です。しかし、対立と孤立を恐れるあまり、やれない理由を父批判という形にすり替えていたのかもしれません。「孤立を恐れない」ということの重要性を、父が私に施した究極の後継者教育と、父の後ろ姿から学んだような気がするのです。


父から与えられた究極の後継者教育のメニューは、甘えと批判ばかりの後継者という姿から私が脱皮し、孤立を恐れず経営できる力を養成するための究極のプログラムだったのです。