人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

単一事業の好調で「ゆでガエル」になった命とりの経営 その1

相続税の問題に付け加え、経営上の問題もありました。事業の柱がたったひとつという単一事業での経営は、さまざまな経費が単一事業の収益によって支えられているため、支えている事業本体が収益性や成長性を失えば、再生しにくくなります。


 経営には常にリスクがつきまといます。また、事業のサイクルも十年、一説には五年ともいわれるほど短くなっています。このような状況下において企業を永続的に存続させるためには、あらかじめリスクを分散しておく必要があります。事業の柱を三本くらい構築しておくことが求められる時代になってきたのです。


 私の経営していた会社の事業の柱は、リネンサプライ業です。リネンサプライ業はおおまかに、病院寝具のリースを行う「ホスピタルリネン事業」、ホテルや旅館にシーツ、浴衣等をリースする「ホテルリネンリース事業」、企業・レストランへ制服類をリースする「ユニフォームリース事業」等に区分されます。私の経営していた会社は、地元でホスピタルリネン事業の九十パーセントのシェアを確保していました。九十パーセントという二番手の追いつけないシェア、この驕りこそが新たな事業構築への足かせになっていたことは否めません。


 ホテルリネン、ユニフォームリネンも手がけてはいたのですが、微々たるもので、ホスピタルリネン事業の売上だけに依存していた、まさに単一事業の経営体質だったのです。


 会社を引き継いだ私は、病院寝具事業だけでの経営では将来に不安を感じ、ホテルリネン事業やユニフォームリネン事業も手がける工場建設や投資、さらには次の柱として、シルバービジネスへの事業転換を模索していました。今日でこそ、在宅介護には保険点数がつく時代となりましたが、私は、介護保険などまだない時代から、次の事業の柱にシルバービジネスへの参入を提言していたのです。


その2に続きます。