人生100年時代のM&A物語

49才の時父親が創業した会社を、父親在命中にM&Aで売却。その後、売却益で第2創業。売却決断実践から20年の経営者人生を綴ります。

域経済に波風を立てない基本合意契約 前編

M&Aの大きな山場のひとつが「基本合意契約」の締結です。トップミーティングの後、譲渡側企業が私のプレゼンテーションに共鳴し、互いに理解を示せば、あとはさらに具体的な話を詰めていくことになります。


しかし、どちらか一方が懸念を示せば、以後の進展は閉ざされます。譲渡側にお見合い候補者がほかにもいれば、そのいずれにもお見合いをすることができ、基本合意契約が締結されるまで〝お見合いのハシゴ〟はいくらでもできます。


たとえいくつもの候補企業との折衝が可能とはいえ、そこには当然ルールがあります。結婚する意志があるかないかを、相手に対して期限までにかならず答えるというルールです。


人間は貧欲ですから、折衝した相手が良縁に見えても、ひょっとしたらさらに良い縁談がくるのではないだろうか、いま決断するのは損ではないだろうかと、自分に都合のいいことばかりを考えて返答を引き延ばしてしまいがちです。でも、お見合いから数か月にもわたって返事をしないというのはマナー違反です。そんなことをすれば相手の不評を買い、破談になることは目に見えています。


私の場合は、仲介アドバイザーから、トップミーティング後二週間以内にお見合いの相手に結果を知らせるよう要請されていました。トップミーティング以降は、相手企業の訪問を受けたり、さまざまな資料の提供を求められたり物事がスムーズに進んでいきます。


しかし、M&Aを行っている当事者としては企業を手放すという寂しさで落ち込んだり、反面、好条件での受け入れを想像して内心ウキウキしたりと、意外に不安定な心理状態に陥る時期です。


誰にも話しませんでしたが、私のなかにはM&Aにひとつの前提条件がありました。それは、私の会社は、地域の産業構造に波風を起こさない業種に売却するということでした。


というのも、M&A成立の後、買収側は私の経営していた会社を拠点にして、従来の本業と新たに買収した事業とのシナジー効果を求めるようになります。そうなれば、買収側の本業の業種によっては、当地域において、「価格破壊」や「企業間競争の激化」が生じる恐れがあるからです。


私のM&Aによって、当地域で私と交流のあった経営者が、企業の存亡にかかわるような事態にはしたくなかったのです。ビジネス界に同情は禁物といえばそれまでですが、私の心情としては、地域の産業構造にできるだけ波風を立てないで済む結婚相手を探したかったのです。


後編に続きます。